「墓参りに付き合ってほしい」
朝ご飯の最中の突然の零の言葉だ。特に予定もない日曜日、「いいけど、誰の?」と聞くと、零は消え入りそうな声で「友達だよ」と答えた。そのときの零の表情があまりにも苦しそうで、そのときはそれ以上聞けなかった。
墓地に向かう車の中で、零はぽつぽつとその友人の話をし始めた。「彼」は友達と言うより昔馴染み、幼い頃から仲のいい人だったらしい。
「も会ったことあるはずだ、大学のとき。ほら、あのときの」
零の話す彼の特徴を聞いて、あの人かと思い至る。第一印象は少し近寄り難い雰囲気だと思ったけれど、話してみると朗らかな明るい人だった。零と彼の会話にも遠慮が見られず、気の置けない間柄であることがすぐにわかった。零が席を外したときに、「あいつ、結構めんどくさいだろ」とからからと笑いながら言われたことを思い出す。そうか、あの人亡くなってしまったのか。一度会っただけとは言え、顔見知り、しかも同年代が亡くなったと聞くと胸が痛い。
「……なんで亡くなったの?」
「殉職。あいつも警察官だったから」
「え……」
「もうだいぶ前だけどな」
彼が亡くなった原因はてっきり病気か事故の類だと思っていた。警察官、殉職という言葉は警察官を夫に持つ私には敏感に反応せざるを得ないワードだ。
零の友人であり私も顔を合わせたことのある相手が殉職、か。「墓参りに付き合ってほしい」という零の提案に軽く頷いたけれど、口を引き結んで背筋をピンと伸ばした。
零が車を停めたのは郊外にあるごく普通の集合墓地だ。親戚のお墓参りに来ても思うけれど、同じような墓石が並んでいるだけで迷いそうになってしまう。道中で買った花を持って、迷うことなく目的地へ向かう零の後をついていく。
「俺も一回しか来たことないけど」
「そうなの?」
「ああ、籍入れる少し前にひとりで来ただけだ」
だいぶ前に亡くなったというから頻繁に来ているのかと思ったけれど一度だけとは意外だ。ただ、零は私と結婚する少し前まで多忙を極めていたし、なにより「安室透」という偽名を使っていた。おそらく自由に動けるような状況ではなかったのだろう。
「ここだ」
零が奥まった場所の墓石の前で止まる。ここが彼のお墓のようだ。
瞬間、零の表情が曇る。あまり感情を顔に出さないタイプの零のこんなにも影を落とした表情を、私は初めて見た。声をかけることも躊躇われて、少しの間沈黙が流れる。
「……悪い」
零はゆっくりと瞼を閉じると、小さく口を開いた。目を開けた瞬間にはもうすでにいつもの零だ。零は手早く墓石の掃除をして、お線香に火をつける。そんな零の隣で私も彼に向かって手を合わせた。
どうか、安らかに。祈っている最中に、ふと彼と顔を合わせたときのことを思い出す。「あいつ、結構めんどくさいだろ」と零を評した後に「知ってると思うけど、ああ見えて真面目なんだよ」と。「零のこと、よろしくな」と。そう言われた。
あの人、亡くなってしまったのか。その実感がじわじわと私を蝕む。たった一度会っただけ、ほんの少し会話を交わしただけだったけれど、あの人がもういないのだと思うと心が痛む。なにより零の大切な人だったのだろう。零があんな悲しげな表情をするのだから。そして彼にとっても零は大切な相手だったのだろう。「零のこと、よろしくな」なんて言葉が自然と出てくるほどに。
胸の奥に潰されるような痛みが走る。息を吸ってもどろりとした味がしてうまく吐けない。もやもやとした霧がかかったかのような居心地の悪さ。人の死を感じる瞬間は、いつだって気持ちのいいものではない。
「付き合わせて悪いな。知り合いってわけでもないのに」
「いいよ、私も会ったことある人なんだし」
「ああ……一度、と一緒に来たかったんだ」
零はじっと墓石を見つめる。供えられた花束は零が選んだものだ。
「話したこと、覚えてるよ。零のことめんどくさいやつだろって言われたなあ」
「なんだよそれ。なんて答えたんだ?」
「確かにちょっとね、って」
私の答えに、零はあからさまに不満そうな目を向けた。
「……そんなに面倒か?」
「ちょっとって言ってるじゃない」
別に本気で面倒だと思ってるわけじゃない。ときどき細かいところに気づきすぎるし、彼が言っていたように真面目すぎるきらいがあるから、彼の言葉に「ちょっと」同調しただけ。
「……あいつにもよく言われたんだよな」
零はぽつりと、噛みしめるように呟いた。
「お前みたいな面倒なやつとまともに付き合えるやつ、そんなにいないぞって。お前に言われたくないって返したけど」
「ふふ、気にしてるんだ」
「別に気にしてるってほどじゃない」
その言い方、やっぱり気にしてるんじゃないか。そう言いたくなったけれどここで押し問答しても仕方ないので笑うだけに留めた。
零はふいとそっぽを向いて不機嫌な様子を隠そうともしない。子供みたいな拗ね方をするのは昔馴染みの前だからだろうか。
「……ほか、なにか言われたか?」
「ほか? んー……あ、指輪の話」
言いながら、私は左手を見つめる。
「あのとき、もらったのしてたでしょ。それ、あいつからもらったやつなんだろって言われたかな」
「……また余計なこと言ったんだろ、あいつ」
「余計って言うか……重いとか思わなかった? って」
「ほら余計なことじゃないか」
大きくため息を吐きながら墓石を見る零の目は恨みがましくて、そんな零を見て私は思わず笑ってしまう。
「……なんて返したんだ?」
零の声は先ほどの同じことを聞いたときより少しばかり弱々しくて、不安の色が覗き見える。あ、これは本当に気にしていたんだな。いつも自信ありげに見えたけれど、こういうところはやはりまだ大学生らしかったということか。
「嬉しかったって答えたよ」
あのとき、彼に聞かれてすっと出た言葉がそれだった。確かに学生でそこまで長い付き合いでもないのに指輪なんて重いという人もいるだろう。それでも私は嬉しかった。あの甘く穏やかな痛みを、私は今も忘れていない。
「そしたらあの人……よかったって言ってた。嬉しそうに笑ってたよ」
最初のからかうような表情とは裏腹に、彼はあのとき確かに穏やかに笑っていた。嬉しそうに、そしてどこか安心したように。
零の目は先ほどまでのふてくされたような雰囲気から、またここに来たときのような影を落とした色に変わる。瞬きをしても変わらない。
「そのあと……零のこと、よろしくなって言われたよ」
それは兄弟を想うような声色だった。零と親しいであろう彼にそう言われたことをひどく嬉しいと思った。そして、今その言葉を思い返すと、とても。
「……遺言みたいだな」
零が弱々しい声で呟いた。
彼がいない今、その言葉はさながら遺言のように胸に響く。
「……が会う前に、あいつにのこと話したことがあるんだ」
零はこちらを見ることなく、ただ墓石を見つめながら淡々と言葉を紡いでいく。
「今大学の同級生と付き合ってる、その人と結婚するつもりだって話した。そしたらあいつ、相変わらず真面目だなって笑ってた。重いって思われてないか心配だって言ってさ」
零はゆっくり目を瞑って、顔を上げる。開いた目は、深い蒼。
「……と結婚したって言ったら、喜んでくれたんだろうな」
揺れた零の声が、空に消えていく。
こんなに弱々しい姿を晒す零を、私は初めて見た。子供みたいに泣き出しそうな顔で、今にもどこかに消えてしまいそうな雰囲気だ。そんな零の姿を見て、零にとっての彼の重みを知る。
大切な人だったのだろう。零にとっても彼にとっても、お互いがなくてはならない存在だったのだろう。そして彼だけが零を置いて逝ってしまった。
小さな零の背中に手を添えた。弱った零に何をするのが正しいのかわからなかったけれど、私がそうしたかった。
零は私の肩を抱き寄せる。悪い、と小さな声が聞こえた。それは私に対するものなのか、それとも彼へ向けた言葉なのか。
声は風に乗って消えていく。
セントエルモの火
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18.05.26