幸せのかたち



 幸せのかたちは人それぞれ違う。結婚すること、子供をもうけること、仕事で成功すること、趣味を究めること、それら全部を叶えること。きっと百人いれば百通りの幸せのかたちがあるのだろう。
 じゃあ、私にとっての、幸せは?


 零の部屋に引っ越して一週間。この家と職場の行き来もだいぶ慣れてきた。零の部屋が職場から遠くなかったのは幸いだ。特に今日みたいに遅くなった日は。
「ただいまー」
 飛び込むようにリビングのソファに座る。ふかふかのソファは疲れた体を離してはくれない。
「お疲れ」
 そのままの格好でしばらく休んでいると、零がマグカップを私に差し出して隣に座った。カップの中身は温かいココアだ。
「ありがと」
「疲れてるな。忙しい?」
「まあそれなりに。でももう終わったし」
 引っ越し関連で取った数日の休みが今になってしわ寄せとして響いているけれど、今日で全部終わらせてきた。これでしばらくは大丈夫だろう。
「あんまり無理するなよ」
「それは零のほうでしょ。今日は休みだけどさ」
 今現在、零の仕事は落ち着いているようだ。公務員ということもあり有給も多少は消化しなくてはいけないようで、今日も有給休暇を取っている。今まで有給をとっても名目だけで出勤していたときもあるようだから、今日のような休暇は零にとっては本当に貴重なものなのだろう。休めるときには休んでもらわないと。
「無理はしてないさ」
 零は涼しい顔で言ってのける。いくら最近は落ち着いているといっても、零は警察官なのだ。休みの日に呼び出しがかかることもあるし、仕事中のプレッシャーだって私の比ではないだろう。それなのに疲れた素振りを見せないことが悔しい。
「……零って疲れないの?」
「は?」
「なんかムカつく」
 子供っぽい拗ね方だとわかっているけれど、思わずそんな言葉が口からこぼれた。
 もし本当に零が疲れていないとしたら、たったこれだけの仕事量で疲れる自分が悔しい。逆に本当は疲れていたとして、私に疲れた素振りを見せないのだとしたら、それはそれで悔しい。私はそんな様子を見せられないほど頼りないのかと感じてしまう。まだ籍は入れていないとは言え、結婚相手だというのに。
「なんで拗ねてるんだよ」
「別に」
 ふいと顔を背けると、零の小さな笑い声が聞こえてきた。呆れたような嘆息ならまだしも、今なぜ笑い声が聞こえるんだ。
「……なんで笑ってるの」
「別に?」
 あ、まただ。久しぶりに見る自信に満ちた零の顔。私の心の中すべてを見通したような目で、余裕綽々の笑みを浮かべている。
 零はきっとすべてわかっている。私がとてもくだらなく子供のような理由で拗ねていることを。昔から零に隠し事なんてひとつもできやしなかった。
 悔しい。本当に悔しい。いつだって零は私の上を行っている。
「別にを信頼してないわけじゃない。ただ……」
 零は視線を泳がせた後、小さく口を開いた。
「疲れたとか、あまり感じない。麻痺してるのかもな」
 呟く零の横顔は曇っていて、私の中に淀んでいた悔しさは消え去る。それどころか、なんてバカなことを考えたのだろうと恥ずかしさすら感じる。
 何を言えばいいかわからずに言い淀んでいると、零が私の肩は抱き寄せた。
は疲れてるんだろ」
「ん……」
「気を遣わなくていい。むしろ遣うなら、素直に言ってほしい」
 麻痺してるなんて言い方をする零に、疲れてるなんて気軽には言えない。零に促されて私はようやく頷いた。
「籍入れても仕事続けるんだろ」
「うん」
「やりたい仕事だって言ってたもんな」
 大学時代、お互いの将来について少し話したことがある。私はあのとき希望していた仕事に就いて、それは零も同じ。
は仕事してるの似合うよ。真っ直ぐ立って歩いてるのが似合う」
「それ、よく言われる」
 キャリアウーマンだと多くの人に言われる。そのせいか結婚すると報告したら全員に驚かれたものだ。
「結婚しないかと思ってたっていうのもよく言われた。仕事に生きてるのかと思ったって」
「俺もさんざん言われた」
「やっぱり?」
 零の言葉に笑みがこぼれる。そういうところは似たもの同士なのだろう。
「まあその分、しょっちゅう結婚せっつかれたけどね。仕事もいいけど女としての幸せは? って」
 そのときのことを思い出してため息が漏れる。家族は幸い結婚を急かすようなことは言わなかったけれど、職場の上司や取引先に言われたことは少なくない。お見合い写真をもらったことがあるほどだ。
「失礼な奴らだな。結婚だけが幸せの形じゃないだろ」
 零が呆れたような声を出すから、私は思わず顔を上げた。視線が合うと、零は瞬きをひとつして真っ直ぐ前を見る。
「今はそんな時代じゃないだろ」
「……そうよね」
 零の意見には私も同意見だ。結婚してもしなくてもそれは個人の自由であるべきで、人から幸せだ不幸だと言われるものではないはずだ。
 とは言え、これから結婚するというのにその発言に思い切り頷くのもどうなのだろう。少し躊躇いがちな返答になってしまった。
「結婚するのも、仕事に生きるのも、趣味に生きるのも、万人に自由があるべきだ。人の幸せなんて、百人いれば百通りあるだろ。結婚しなくちゃ幸せになれないなんて、時代遅れも甚だしい」
 きっぱり言い切る零の瞳は真っ直ぐだ。零はその瞳をこちらに向けて、私の手を優しく握る。
「百通りある幸せの中で、俺はと結婚したいと思った。だからあのとき結婚しようって言ったんだ」
 零の言葉に、胸の奥が締め付けられる。甘い痛みが走って、涙がこぼれそうになる。思わず零の胸に飛び込んで抱きついた。
「……ありがと」
「本当のこと言っただけだ」
 零の骨ばった手が私の髪を撫でる。胸が痛い。胸が苦しい。きっと最上の、幸せの痛みだ。
 零を見上げてキスをする。唇を離して、もう一度。

 これがきっと私の、私と零の幸せのかたち。





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17.05.07



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