覚めない夢を見させてよ

 あの電話から、どれだけのメールを交わしただろう。他愛もない世間話が多かったけれど、段々と近況報告が主になり、メールの文章も短くなっていく。そして、そのメールの頻度自体も減って行った。週に一度、二週に一度と。
 私のほうも仕事の量は増え、それに比例し自分の知識不足を痛感する機会も増え、仕事に関する勉強時間が増えて行く。毎日の家事労働の時間は減って行く一方で、余暇に時間を費やす余裕はまったくと言っていいほどなくなっていく。零へのメールを作っている途中で携帯片手に眠ってしまったこともある。
 それは零も同じようだった。いつだったか、零から来たメールは最後の文章がただのアルファベットになっていた。その後に来たメールには、「悪い、寝ぼけて送信ボタンを押していた」と書いてあった。気にしないで、と返したメールにまた返事が来たのは二週間後だった。
 電話の頻度はそれにも増して減って行く。例の作成途中のメールが来てから、私は零に電話を掛けにくくなってしまった。零はあまり長い時間寝るタイプの人間ではない。互いの部屋で共に朝を迎えたときも、基本的に零は私より朝早く起きて、私より目覚めもいい。零が何かの作業中に眠ってしまうなんてことはそうそうなかった。そんな彼がメール途中で寝てしまうなんて、相当疲れているのだろう。零が電話をする余裕があるときに、電話を掛けて来てくれればいい。そう思って、電話を掛けることは躊躇いがちになり、零からの連絡待ちになることが多くなった。


 零が警察学校に入って、七か月が経った頃。一か月ぶりに零から連絡が来た。そのとき私は職場にいて、慌てて携帯を持って社外へ出た。
「もしもし、?」
「もしもし、久しぶり」
 一か月ぶりに聞いた零の声に、仕事で疲れた心と体が軽くなる。優しい声が、全身に染み込んでいく。
「悪い、全然連絡できなくて」
「ううん、それはこっちも同じだし……」
 この一か月、連絡をしていなかったのは私も同じだ。研修が終わり仕事が本格化し、仕事を始めた直後よりさらに忙殺される毎日だ。
「……後ろ騒がしいけど、もしかして外?」
「あ、うん。職場にいたから外に出ちゃった」
「仕事中だったのか、悪い。電話したらまずいんじゃないのか?」
「ううん、大丈夫。まだ打刻してないし」
「……ていうか今日休みじゃないのか? の会社、土日休みだったろ」
「あ……まあ、その、休日出勤です。仕事終わらなくて」
「大丈夫か?」
「大丈夫、残業も休日出勤もちゃんと手当てでるし」
「いや、そっちじゃなくて、疲れてないかって。少しぐらい手を抜けばいいのに、はすぐ無理するから」
 その言葉を聞いて、ぐっと喉が詰まる。学生時代からたびたび零に言われてきた言葉だからだ。そして、私はいつも零にこう返していた。
「それを言うなら零だってそうでしょ。無理してるんじゃないの?」
 その言葉は零にこそ言える言葉のはずだ。無理しがちなのは零のはず。現に、電話から聞こえる零の声には疲れの色が滲んでいる。
「否定はしないけど」
「やっぱり」
「でも、多少は無理しないと。俺も一先ず警察学校終わって実務の研修みたいなことしてるんだ。警察学校のときより忙しいぐらいだし、実際人に関わる仕事だから手は抜けないさ」
「そりゃそうだろうけど……体壊したら元も子もないんだから」
「わかってる。ちゃんと気を付けてるから。に心配は掛けない」
 今の時点ですでに心配は掛けてるんだけど。その言葉を私はぐっと飲みこんだ。
「……風邪引かないでね」
「ああ」
「怪我、しないでね」
「それは……約束できないな。そういう仕事だから」
「……そうだね」
 それはわかっていたことだ。警察官は危ない仕事であり、怪我をするのはもちろん死の危険すらある。日本の警察で殉職はそうそうないのはわかっているけれど、それでも零がそんな目に遭わないとは限らない。
 危険な仕事だとわかってる。そして忙しい仕事であることも。それをわかって、零を送り出した。応援すると決めたのだ。
「これから仕事なんだよな。引き留めて悪い」
「ううん、平気。零は今日休みなの?」
「休みだけど、休みでも呼び出しかかること多いから」
「ああ、そっか……」
「近いうちに会おう。また連絡するから」
「うん。……またね」
「ああ、また」
 電話口から、ツーツーと素っ気ない音が聞こえてくる。はあ、とため息を吐きながら私も電源ボタンを押した。
 零はまだ忙しいようだ。会うのは難しいだろうか。電話もメールも、頻度は今までより高くというわけにはいかないだろう。
 研修が終わって、再び警察学校の課程を終えたら少しは余裕も出るだろうか。その頃には私も仕事に慣れているだろうか。
 零に会いたいと思う。もう随分と彼に会っていない。会って、他愛もない話をしたい。
 会うとついつっけんどんな態度を取ることがあるけれど、声を聞いただけで涙が溢れそうになるほどに、私は零が好きなのだ。
 会いたい。でも、零の夢の邪魔をしたくはない。警察官になりたいと言ったあのときの零の表情を思えば、邪魔などできるはずもない。
 私は自分の気持ちをそっと胸の奥にしまった。きっと大丈夫と、言い聞かせながら。







 
16.08.19