ミルテの花


「じゃあ、招待状送るから」
「もちろん。二人の結婚式だもん、絶対行くよ」
「ふふ、ありがとう」
 電話口で明るい声を出す人物は、私の大学時代の女友達だ。大学時代からの恋人と結婚式をあげるというので連絡をくれたのだ。
「でも意外。二人はもっと早く結婚すると思ってた」
「ほら。あっちが転職したりとかあったからね」
「あー、そういえば前言ってたね。なんにせよ、おめでとう」
「ふふ、ありがとう。でね……」
「うん?」
「えっと……」
 友人は少し言いにくそうに、言葉を詰まらせる。どうしたのと続けて聞いてみると、少し間を置いて遠慮がちな声が聞こえてきた。
「降谷くん、どうしてるかわかる?」
 聞こえてきた言葉に、心臓がドクンと跳ねた。
 降谷零。私の大学時代の恋人の名だ。彼と私が付き合っていることは当時の学友たちには周知の事実だった。
「……知らない」
 大学時代、確かに私は降谷零と付き合っていた。しかし、それは大学時代までのこと。就職してからは忙しくなり連絡を取らない期間が続き、落ち着いた頃にこちらから連絡を試みたところ、彼が電話を取ってくれることはなかった。それは私に限った話ではなく、大学時代の友人は全員彼と連絡が取れなくなっていたらしい。
 連絡の取れない相手を、恋人と呼ぶほどおこがましくはない。私と彼の関係は、大学時代で終わったのだ。
「そっか……ほら、彼の方がが降谷くんと仲良かったじゃない? だからもし連絡取れたら来てほしいなって話しててさ、だから」
「いいよ、気遣わなくて。もう六年も前の話だよ?」
 友人が言葉を選んでくれているのがわかるけれど、連絡を取れなくなったのは随分と昔のことだ。気を遣われると私が未練がましい女のようになってしまう。
「あ、ごめんごめん。変な意味じゃなくてさ、今彼氏いたら話題にするのも悪いかなって」
「残念ながらいませんよー」
「えー、>ならその気になれば彼氏の一人や二人すぐにできそうだけど。誰か紹介しようか?」
「彼氏は一人でいいしちょっとこの間合コンで痛い目見たのでしばらくはそういうのはいいよ。何かあったらこっちから言うからさ」
「了解。いつでも言ってね」
「うん。じゃ、そろそろ切るね」
「うん。またね」
 ふう、と息を吐いて通話を切った。ソファの背もたれに背中を預けて天井を仰ぎ見ると、ベランダの窓が開いた。
「電話、終わりました?」
 そこから顔を覗かせた男の名は安室透。彼は電話が掛かってきてすぐに彼は電話の主を聞くこともなく、遠慮せずどうぞ、という言葉を残して自身も携帯を持ってベランダへと出てしまったのだ。
 安室透は私の大学時代の恋人の降谷零と間違いなく同一人物だが、何故か今は安室透と言う名を名乗っている。詳しいことは聞いていないけれど、どうやら危なっかしいことをしていることは確かだ。
 数か月前、彼がアルバイトをする喫茶店で再会してから、彼はたびたび私に部屋に来るようになった。来るのは夕方から夜に掛けて、夕飯を一緒に食べてそのまま眠ったり、一晩共に過ごしたり。一緒にいるのはほぼ私の部屋の中、たまに彼の車の中と、どこかへ出掛けたりはしない。ただ、狭い空間の中で二人きりで同じ時間を過ごすだけ。
 降谷零との関係は、六年前に終わった。今私が関係を紡いでいるのは安室透という男だ。
「終わりましたよ。別にそっち行かなくてもよかったのに」
「いえいえ、そういうわけにはいきませんよ」
 透は私の隣に座ると、飲みかけのマグカップに口をつけた。
「いい話だったんですか? 随分と嬉しそうです」
「ん……そんな顔に出てる?」
「それなりに」
 自分の頬に手を当ててみる。自分ではあまり顔に出ないタイプだと思っていたけれど、自覚がないだけでいつも出ていたのか。それとも透だからわかるのか。
「大学時代の友達。結婚するんだって」
 別に電話の内容自体は秘密にするようなことじゃない。零の名前が出たことだけ伏せた、電話の内容を話した。
「へえ……」
 私の話を聞いている最中の透は、目を細め瞳を揺らしている。その表情はひどく穏やかだ。
「……他の子の結婚式の写真あるけど、見る?」
 透の優しい表情を見て、ふと思い付く。
「いいんですか?」
「うん。ちょっと待って」
 私はソファから立ち上がり、本棚のアルバムを取り出した。
 大学時代の友人の多くはすでに結婚しており、その中には透の知り合いも多い。彼らの結婚式の時の写真は現像してアルバムに収めている。
「ありがとう」
 透はアルバムを受け取ると、膝の上でそれを広げる。
「ああ、あいつも結婚したのか……」
 透は一ページ一ページ、大切そうに手繰っていく。写真を見つめる青い目は優しい色を纏っている。
 大学を卒業して一年ほど経った頃、私を含め大学時代の知り合いは全員彼と連絡が取れなくなった。その理由はわからないけれど、今の彼の表情を見る限り、大学時代の友人たちが嫌いになったという理由ではなさそうだ。
 そのことに、ひどく安心している自分がいる。
「これは……」
「ああ、これは会社の人の結婚式。ついこの間のやつ」
「へえ……」
 透はフィルム越しに写真をなぞる。
「知り合い?」
 大学時代の知り合いの写真に比べて、この写真にはやたらとご執心だ。写真の中に知り合いがいるか、この式場に見覚えでもあるだろうか。
「いや……」
「ずいぶんそれ熱心に見てるから」
「そうですか? ……そうですね」
 透は小さく口を動かして、弱い声で言葉を紡ぐ。
「……職場の方ですか?」
「そう、新郎の方が上司で」
「そうですか」
 透はなかなか本題に入ろうとせず、回りくどい言い回しをする。それ自体はいつものことだけれど、今回は少し様子が違う。外堀を埋めるわけではなく、ただひたすらに肝心なことを言おうとしたがらない。
「……新婦に、似てるって言われませんでした?」
 躊躇いがちに放たれた透の言葉に、心臓が大きく跳ねる。優しい声なのに、どこか空虚な、寂しげな声が、無性に私の胸をくすぐった。
「……言われたよ、ちょっと似てるって」
 出席した同僚にも、新郎の上司にもそう言われた。顔立ちが似ていると。上司のほうには、お前よりずっときつい性格だけど、と付け加えられたけれど。
「やっぱりですか。だからでしょうかね、やたらと……」
 透は何度か瞬きをした後、ソファの背もたれに体を預け天を仰ぐ。
 透は今何を考えているのだろう。私に似た女性がウェディングドレスを着て微笑んでいる写真を見て、何を思っているのだろう。
「……したいですか」
「え?」
「結婚」
 突然のストレートな言葉に、私は言葉を詰まらせてしまう。
 そんなこと言われるなんて、欠片も思っていなかった。なんと答えればいいかわからない。唇を開いては、声にならない声が零れ落ちる。
「……したいような、したくないような」
 曖昧な答えを返すと、透は笑った。
 今の答えは、すべて本心だ。結婚願望がまったくないわけではない。友人の結婚式に行けばいいなあと思うし、子供を見れば私も、と思う。
 だけれど、どうしてもしたいわけでもない。
 もし、もしも結婚をするなら、したい相手はずっと前から決まっている。
「そうですか」
「そう、です」
「……したい相手は、今近くにいますか?」
 静かな部屋に、透の声が波打つように広がった。
 透は決して明確なことは言わない。だけれど、彼が言わんとすることは、確かにわかる。
「……近くにいるけど、きっと一番遠いとこにいる」
 少し考えて、出した答えがそれだった。
 私がもし結婚をするとしたら、思い描く相手は大学生のときから変わらない。今隣にいるけれど、隣にいない人。
 どこにいるのか、わからない人。
 隣にいる人を真っ直ぐに見すえた。
「……すみません」
 苦しげな声が、胸に刺さる。
「ん……」
 なんと返せばいいかわからずに、私は曖昧な相槌を打つ。
 透は下を向く私の手に一回り大きい自分の手を重ねる。ゆっくりと顔が近付いて、唇と唇が触れた。
「……嬉しいと思ってしまったと言ったら、怒りますか」
 顔を近づけたまま、透は言う。
 彼の言葉が、胸の奥に沁みていく。ほんの少しの痛みを孕んだ温かさは、ひどく心地いい。
「……怒っているように見える?」
「いいえ」
 透の少し高い声が響いた後に、彼の唇が私のそれに触れる。ひとつ、ふたつと触れるだけのキスをした後、透は私を抱き寄せる。
 穏やかな気持ちのまま透に体を預けると、彼は耳元で呟いた。
「すみません」
 謝る必要なんてないのに。そう思いつつ、透がそう言いたいのであれば、否定する必要もない。ただ黙って、彼の言葉を聞いていた。
「もう少し……」
 小さく呟いたその声に、私は目を瞑った。
 もう少し、いや、ずっとこんな時間が続けばいいのにと思いながら。






ミルテの花
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16.11.03



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