星は光りぬ

 嫌な夢を見て、飛び起きた。
 冷房を効かせているのに全身は汗だくで、心臓は大きく鼓動を打っている。息は絶え絶えで、とても体を休めて眠っていたとは思えない。
 嫌な夢だ。今までにも何度か見た嫌な夢。大切な人が、私の胸元に銃口を向ける夢。その引き金が引かれた瞬間に、目が覚める。
 カーテンの隙間から差す微かな星光を頼りに、枕元の時計の文字盤を見た。時刻は夜中の三時、まだ起きるには早すぎる時間だ。
 しかし、寝る前に隣にいた透はベッドから姿を消している。トイレか、はたまた彼も起きてしまったのか。うまく働かない頭で考えていると、ドアの隙間から微かな光が漏れていることに気付いた。
「透?」
 ドアを開けると、やはりそこには透がいる。一番光度を抑えた照明の中で、服を着替えどこかへ出掛ける準備をしている。
「ああ、すみません。起こしました?」
「ううん、そういうわけじゃ……こんな時間にどこ行くの?」
「野暮用が入りまして。書き置きでも残しておくつもりでしたが」
 そう言って透は携帯の画面を確認する。おそらく携帯に急の用件の知らせが入ったのだろう。
「探偵業?」
「まあ、そんなところです」
 その答えで、探偵業の関係ではないのだなと察した。
 本当に探偵業であれば、そんな曖昧な答えではなく「はい」と答えるはずだ。きっと、私には言えない何かをしに行くのだろう。
 私は彼が本当は何をしているのか知らない。表向き、安室透という偽名を使って探偵業兼ポアロのバイトをしているのはわかっているけれど、その裏で何をしているのかは知らされていない。どうやら危険なことをしているようだけれど、詳しいことは絶対に言ってはくれない。
「……そう。こんな夜中に大変ね」
「まあ、そういう仕事ですから。……どうかしました?」
「え?」
「汗だくですよ」
 透は私の額を手で撫でる。そこはびっしょりと汗で濡れてしまっている。
「冷房、効かせてましたよね?」
「……ちょっと嫌な夢を見たの」
「夢?」
「あなたに殺される夢」
 そう言って、私は右手で拳銃の形を作って透に向けた。そう、ちょうどこんなふうに、夢の中で彼は私を殺した。
「引き金が引かれる瞬間に、目が覚めたの。汗だくだし、心臓は痛いし、散々よ」
 おどけたふうに言ってみるけれど、透は表情に影を落としたままだ。その表情まで、夢の中と一緒だ。
「その顔やめてくれる? 本当に殺されそう」
「……」
 乾いた笑いと共に言葉を放つと、透が両腕を私の背中に回した。力は確かに籠っているのに、優しく縋るような腕の感触が、どうしようもなく苦しい。
「……ねえ、もしもの話よ。もしもね、私を殺すときがきたら、そのときは一思いに殺してね」
 ぎゅっと抱きしめ返して、そう言った。
 殺されたいわけじゃない。死にたいわけじゃない。でも、もし私が殺されるなら、この人がいい。夢の中みたいに悲しい顔をしないで、一思いに殺してほしい。
「……ああ」
 透は小さく弱い声で頷いた。
 彼が何か危ないことをしているのはわかっている。自分自身のみだけでなく、周りに人間を巻きこむほどの大きなことを。詳しいことは聞かされていないけれど、それだけは知っている。
 そして、巻き込まれないためには離れたほがいいこともわかっている。今までの二十九年間のように安寧な生活を送りたければ、彼から離れればいい。連絡がきても無視をして、なんなら番号も変えて、彼が部屋に来たら居留守でも使えばいい。さすがに合い鍵までは渡していない。
 でも、私はそれができない。だって、この人のことが好きだから。たとえ何も話してくれなくても、殺されようと、この人と一緒にいたいと思ってしまった。
 ガラスケースの中で大事なピースがひとつ欠けた生活を送るぐらいなら、私は透の隣にいる世界を選ぶ。
 そして、それは透も同じだ。私を殺す未来になろうと、彼はこの道を選んだのだ。
「車で行くの?」
「ええ」
「居眠り運転しないでね」
「しませんよ」
「だって全然寝てないじゃない」
「そっちが寝かせてくれなかったんでしょう」
「な……っ」
 透の言葉にかあっと一気に頬に熱が集まる。微かな反抗として彼の両頬をつねると、彼は笑った。
「あれは透が!」
「冗談ですよ、冗談」
「も、もう……」
 昨日、いや数時間前のことを思い出すと自然に頬が熱くなる。シャツの隙間から覗く彼の胸元に、手が泳いでしまう。
「そちらの明日の予定は?」
「何もないけど……仕事も休みだし」
「じゃあ、ちゃんと休んでてください」
 透は私の肩に手を置き、優しく声を掛ける。
「今日はここに帰りたいので」
「こっちに帰ってくるの? 自分の部屋じゃなくて?」
「ええ、あまり荷物持って行きたくないので。置いて行かせてください。夜には帰ってくるので」
 透の視線の先には、来るときに持っていた鞄がある。あれを置いて、必要最低限のもののみを持って行くらしい。
「……ちゃんと帰ってきてね」
「なんだか不穏ですね。それを言われると帰ってこれなさそうだ」
「ええ……じゃあなんて言えばいいの?」
「普通に行ってらっしゃいとか」
「それこそ、”いつもの挨拶が最後の言葉となった”みたいなナレーション付きそう」
「難しいな」
 はは、と透はまた笑う。
 夢のことを話したときのような、物悲しい表情は見たくない。いつものあの不遜な表情か、私にだけ見せてくれる柔らかい笑顔が私は好きだ。
「ごめん、引き止めちゃって。行くんでしょう?」
「ああ」
 透は腕時計をつけて、時間を確認する。出かけると言ってから、ずいぶんと時間が経ってしまった。
 机においてあった携帯と財布をポケットに入れて、シャツを直せばもう完全に外出する格好だ。照明の光度を上げないまま彼は玄関のドアまで向かう。
「……
「ん?」
 見送ろうと玄関までついていこうとしたら、透は突然立ち止まる。
「僕はどこを撃った?」
 私の方を振り返らずに、透は温度のない声を放つ。
「心臓よ」
 夢の中で、彼が撃ったのは確かに私の心臓だ。私の左胸に銃口を当てて、右の人差し指で引き金を引いた。
 透はゆっくりと振り返り、屈んで私の胸元に顔を寄せる。シャツのボタンをひとつ外して、素肌に唇をつけて、強く吸い付いた。
「……ん」
 赤い痕が左胸のあたりにくっきりとついて、その奥にある心臓がドクンドクンと大きく鼓動を打っている。
「ちゃんと帰ってきますよ。目印を残しておいたので」
「消えない内に帰ってきてね」
「ええ」
「行ってらっしゃい」
 唇と唇が触れるだけのキスをして、今度こそ透は玄関から出て行った。私しかいなくなった部屋は、しんと静まり返っている。電気を消せば、闇が広がるだけ。
 カーテンを開けてベランダに出ると、車のエンジン音が聞こえてきた。ここからでは駐車場は見えないけれど、きっと彼の車だろう。
 夜空に浮かぶ星を見上げる。七夕には雲が隠れて見えなかった天の川が、燦々と輝いている。
「……行ってらっしゃい」
 聞こえてはいないだろう言葉を、宙に投げた。
 彼に射抜かれた心臓は、いつか本当に穴を開けられるのだろうか。
 透のつけた痕に触れると、まだ熱い。熱が火照って、しばらく眠れそうにない。










星は光りぬ
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16.07.10



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