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ムーンリバーの時点、再会した夜の話です。ムーンリバーを読んでいないとわかりにくいかもしれません。
カーテンを閉め切った真夜中の室内は、灯りを消してしまえば闇に包まれる。真っ暗なこの世界では、今私のことを抱く男の顔も見えない。
あなたは、だれ?
仕事帰りにたまたま入った喫茶店で再会したのは、大学時代の恋人の降谷零だった。だけれど彼はその喫茶店で「安室透」と名乗っていた。
名前こそ違うけれど、「彼」は間違いなく私が大学時代に交際していた降谷零だ。少し雰囲気や話し方は違うものの、顔も声も、張り付いたような営業スマイルもあのときの零そのままだ。なにより「安室くん」と呼びかけながら大学時代の話を振れば彼はそのまま話題に同意してきた。「彼」は間違いなく「降谷零」。そのはずだ。なぜ彼が「安室透」という名前を使っているのかわからないまま、私は彼に車で家まで送ってもらうことになった。車の中で世間話をした後、そのままのなりゆきで彼を自室へと招き入れる。こんな深夜に昔の恋人を部屋にあげるなんて、それがなにを意味するかはもうわかっている。
灯りもつけずに、私たちはどちらからともなくベッドに入った。
「いいんですか」
耳元で囁かれた言葉に心がくすぐられる。ベッドに押し倒しておいて今更それを聞く? 律儀なところはあのころと変わってない。いいよと頷けば彼の指が私のシャツのボタンを丁寧にひとつひとつ外していく。
心の奥に「いいのだろうか」という思いはある。たとえ昔の恋人だろうと、こんな行きずりのようなかたちで一夜を過ごしていいのだろうか。もういい大人なのだから自由、自己責任とはわかっているけれど、やはり褒められた行為ではないのでは?
そんなことを思いはするけれど、感情が止められない。
ふたりきりの車の中で自覚したのは、私の中にまだ残っていた彼への想い。彼に触れたい、触れて欲しいと思ってしまった。もうずっと昔に終わった関係だというのに、私はまだ降谷零のことが好きなのだ。たった一晩でも、たった一回でもいい。もう一度、彼に触れたかった。
彼の指が下着にかかる。たまたま今日は新調したばかりのものをつけていてよかった。偶然に内心感謝していると、彼がぐいと下着を捲し上げる。
「なに考えてるんですか?」
「あ……っ」
「ちゃんと集中してください」
強い声と同時に、大きな手に胸が包まれる。つんと指先で胸の先端に触れられて、跳ね上がるような声が出てしまう。
どうしてこの人は私の考えていることがわかるのだろう。昔からそう。ちょっとした私の表情や態度で私のことを見抜いてしまう。
そんなことを考える余裕もなくなるほどに、彼の愛撫が激しさを増す。首筋を舌先で舐め上げ、右手はふわりとくすぐるように全体に触れたり、先端を指先で弾いてみたり。小さな快感に体が跳ね上がれば、彼の左手が背中に触れる。つーっと背骨に沿って滑る指先の動きに思わず身を捩った。
そのまま流れるようにブラジャーのホックを外される。完全に露わになった私の上半身を見て、彼がゆっくりと口を開いた。けれどその唇は言葉を紡ぐことなくきゅっと引き結ばれ、私の胸に軽く触れる。
「あ……っ」
触れた唇が少し開いて、舌先が私の胸の先端を弄ぶ。ころころと転がしてみたり、吸い上げたり甘噛みをしたり。一方で右手は反対側の胸に触れ、大きな手で胸全体を揉まれた後に親指と中指できゅっと先端を掴まれた。彼が指先を、舌を動かすたびに小さな声が私の唇から漏れていく。ぞくりと背中から脳に快感が走って下腹部が熱くなる。熱を逃がそうと足を捩ると、私の膝の辺りが上に跨がる彼の下半身にある、硬くなり始めたそこに触れた。思わず飛び退くようにベッドの上に体をずらすと、彼が私の太股に手を添える。
「逃げないでくださいよ」
彼の指が、ストッキングの中に入り込む。顔に似合わない武骨な指が幾度か腿を撫でた後、ゆっくり、ゆっくりと脱がしていく。破らないよう丁寧で優しい動きが、私の心を震わせる。
するりと足の指先からストッキングが落ちて、彼が次に指をかけたのはタイトスカート。ストッキングと違って脱がせやすいそれはあっさりとベッドの下に落ちた。
私の体を覆うのはもう下着一枚だけなのに、彼はこの部屋に入ったときと変わらぬ格好だ。それが悔しくてぐいと彼のシャツを掴んで引き寄せ、小さなボタンをひとつひとつ外していく。露わになった胸に手を添え、指先で円を描くように撫でた。自分とはまるで違う筋肉質な体に、無性に情欲をそそられる。
彼は胸を撫でていた私の指を掴んでそっとシーツの上に置いた後、乱雑にシャツとズボンを脱いでベッドの下に捨てた。じっと私を見つめた後、私の内腿をなぞる。膝の辺りから上へ上へと指を滑らせ、ショーツに触れた。
「ん……」
つ、と布越しに感じる指の動きがもどかしい。何度か指を指を上下に擦ったりとんとんとつついてみたり。直接的でない感覚に中途半端な息が漏れてしまう。
私が焦れてきたのがわかったのか、ショーツの中に指がするりと滑りこむ。硬い指が一番敏感な陰核に触れた。
「あっ!」
反射のように口から矯声が溢れ出る。彼の指の動きひとつひとつに一々声が体が反応してしまう。
「あっ、あ、やあ……っ!」
自分ではコントロールできない快感に、頭の中が犯されていく。きゅっと足を閉じて彼の腕を挟み込むと、彼は指の動きを止めてショーツに指をかけた。する、と簡単に下着は私の体から離れていく。
もう私の体を覆うものはなにもない。大学時代に何度も体を重ねておいてなにを今更と思いつつ、どうにも恥ずかしくて秘部を隠すように足を捩る。けれども彼はそれを意にも介さず自身の指を私の秘部へと滑らせた。
「あ……っ!」
太い指がおもむろに私の中へと入ってくる。久しぶりに秘部に感じる異物感、しかしすでに十分に濡れたそこは水音を立てながら彼の指を受け入れる。
「あ、あ……っ」
少しずつ彼の指が動き出す。慣らすようにゆっくりと、壊れ物を扱うかのように優しく、そして恋人のように、甘く。
降谷零は昔からそうだった。私に触れるときの彼の指はいつも優しかった。口では不遜で自信家な面がよく見えたのに、私を抱くときの彼はとても優しくて、大切にされているのだと、愛されているのだと感じられて、私は彼に抱かれることが好きだった。比喩ではなくこれが至上の幸せなのだと思うほどに。
中をうごめく指が二本に増える。無意識に中で指を締め付けてしまうけれど、同時に潤滑油たる愛液が溢れて彼の指は楽に私の中を犯していく。快楽が、私を支配していく。
中指の先が、私の一番弱いところを刺激した。
「あっ!」
ゆったりした動きのまま、彼はそこばかりを刺激する。我慢することなどできずに震える高い声が漏れていく。武骨な太い指が動くたびに響く水音すら快感へと変わっていく。あまりの快楽に体が跳ね上がる。呼吸がうまくできずに息が苦しい。ぎゅっと上半身を捻って枕に抱きつくと、彼のあいているほうの手が私の肩を掴み、ぐいと引っ張られ仰向けの格好にさせられた。お互いが向き合うかたちになって、視線が交差する。灯りを消した暗闇の中でも彼の瞳の色がわかるほど、顔と顔とが近づいた。
キスされる。そう思ったけれど、彼は瞬きをした後ふいと顔をあげて体を起こしてしまう。遠ざかっていく彼の姿を見て、ずんと心に重いものが沈んでいく。
わかっていたはずだった。今の私たちは恋人でもなんでもない。どんなに優しく触れられても、どんなに体の深いところで触れ合っても、心が触れ合うことはない。
じわりと目の奥が熱くなる。涙が溢れそうになるのを必死にこらえて息を飲み込んだ。
心を重ねられなくてもいい。ただ彼に触れたい、触れて欲しい。そう思って彼を部屋に招き入れたはずだ。たとえこの一度きりでも、彼の体温を感じられればそれでいいと。
ぎゅっと唇を噛んで、彼の腕を掴む。
「挿れて」
はやく、と震える唇でどうにか言葉を紡いだ。もう余計なことは考えたくない。頭の中を快楽だけでいっぱいにしてしまいたい。
彼が一瞬目を開きためらうような仕草を見せるから、「いいから」と急かした。そうしたら彼の表情はすぐにすべてを悟ったかのようなものへと戻る。
彼は情事が始まる前に枕元に用意しておいた避妊具を反り上がったそれにつけると、何度かそれを私の秘部に擦り付ける。ぬるりと滑る彼自身が、少しずつ侵入してくる。指とは比べものにならない質量を持った彼のもの。行為自体がもうずいぶんと久しぶりであるこの体は、心と裏腹にそれを簡単には受け入れない。
「あ……っ」
「力、抜いてください」
「抜いてる……っ」
「もっとです」
「あっ!」
ゆっくり、じっくりと彼のものが入ってくる。時折彼の指が私の頬を撫でる仕草がどうしようもなく心をくすぐって、内壁に感じる彼の熱に体が熱くなる。
ようやく全部収まったところで彼が息が漏らした。彼の息も、熱い。
「動きますよ……」
「ん……っ」
彼が少しずつ律動を開始する。中を慣らすようなゆるりとした激しさのない動き。いつしか苦しさはなくなって、快感がすべてになっていく。
ああ、気持ちいい。つながった場所からだけではない。頬に感じる彼の熱い息も、首筋をなぞる彼の指も、快感を煽っていく。全身で快楽を感じて、頭の中をそれだけで埋めていく。
なにも考えたくない。ただ快楽に溺れていたい。気持ちいい、ただそれだけでいい。
欲望のままに彼を感じていると、突然彼が一度動きを止め、私をじっと見つめた。右手で柔らかく頬を撫で、唇をなぞる。
「綺麗だ」
彼が紡いだ言葉に、頭が真っ白になった。
綺麗だ、それは大学時代、零がよく私に言っていた言葉。普段はあまりそういうことを言わないのに、情事のときに「綺麗だ」と頬を撫でながら、優しい声でそう言っていた。
「あ、や……っ」
あまりの言葉に、両の目から涙が溢れ出た。泣きたくなんてなかったのにぽろぽろとこぼれて止まらない。蓋をしていた想いも、もう止められない。
なんでそんなこと言うの。ねえどうして? キスもしてくれないくせに。私の名前も呼んでくれないくせに。どうしてあのときみたいに優しく触れるの? 大切そうに触れるの? どうして「綺麗だ」なんて、言うの? ねえ、どうして?
頭の中がぐちゃぐちゃで、止めることのできない涙が頬を伝って落ちていく。泣いているところを見られたくなくて腕で顔を覆うけれど、彼はその腕をどかしてしまう。
灯りのない暗闇、涙で歪んだ視界。こんなにも近いのに、目の前にいる人が誰かわからない。彼の名前を呼びたいのに、呼べない。
あなたは降谷零? 安室透? ねえ、どっち?
名前を呼びたい。でもなんて呼べばいいかわからない。触れる指も舌も、漏れる息も、すべてあのときと同じなのに、この人が誰かわからない。
私を手を掴む腕を払って、両手で彼の頬を包んだ。逃がさぬようにしっかりと。歪む視界に彼をとらえて、背中をベッドから浮かす。私の唇と彼の唇が、触れる。
ずっとキスがしたかった。私の唇で彼の唇を感じたかった。名前を呼べないなら、呼ぶ代わりにキスがしたい。愛情がなくてもいいなんて本当は思えないけれど、それでも、感情がそこになくても、キスがしたいの。
永遠にも思えるような一瞬のキス。唇を離した瞬間に、彼が私の体をベッドに押しつけた。
「ん……っ」
今度は彼から唇を寄せられた。いや、そんな可愛らしいものではない。押しつけるような少し乱暴なキス。短いキスを何度か繰り返した後に、今度は長くて深い口づけを交わす。
「あっ! ああ……っ、ん……っ」
キスを皮切りに腰の動きが激しさを増す。より深いところで繋がっていく感覚に、ひどく脳内が犯される。息を吐きたいのに、彼が絶えずキスをするからうまく呼吸もできない。
快感に耐えられずぎゅっと枕を握ると、彼がその手に触れる。逃れようとする私の手を完全にとらえると、彼は指の間を優しく撫でて絡めるように手をつなぐ。まるで恋人のような手のつなぎ方。こんなつなぎ方をされたら、心まで繋がったかのように錯覚してしまいそう。
また涙が溢れ出る。はらはらと流れて落ちていく。瞼の横の涙の痕に、彼がキスをした。柔らかな優しい唇に、私の中の最後の糸が切れた。
繋がれた彼の手をぎゅっと握り返す。できるだけ強く、離さないように。離れないように。もう錯覚でもいい。なんでもいい。今、心まで繋がったのだと勘違いをさせてほしい。
秘部も、唇も、手も、心も全部繋がって、溶け合うようにひとつになる。私の部屋に響くのは、いやらしい水音と声にならない熱い息だけ。
「あ、ん……っ、あっ!」
「はあ……っ」
ラストスパートと言わんばかりに彼の動きがより激しくなり、私の体もそれにあわせて動いてしまう。絶頂がもうすぐそこまで近づいてきている。
握った手の力が強くなる。快感が全身に走っていく。
「あっ、あ……っ!」
彼が最奥を突いた瞬間、強い快感にこらえきれず思わず彼にしがみついた。同時に私の肩に彼の顔が沈む。全身が触れ合って、お互いの熱が直に伝わる。
「あ……っ!」
私の肩に、彼の歯が食い込む。小さな痛みが走るとともに頭の中が真っ白になって、絶頂の感覚にただ身を任せた。
「……っ!」
彼の声にならない息が耳にかかって、彼も達したことを知る。
ああ、これで終わりだ。きっとこの関係は、この一回だけ。明日の朝には、きっと彼はいなくなっているのだろう。
頬にひとすじ、涙が流れた。ぼんやりした視界の中、彼の唇がかすかに動く。言葉を紡がないその唇は、私の名前を呼んだように見えた。
星は歌う
18.08.12
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